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東京地方裁判所 平成6年(ワ)9166号 判決

原告

A

右訴訟代理人弁護士

中元紘一郎

中山代志子

右訴訟復代理人弁護士

森下国彦

被告

B

右訴訟代理人弁護士

下飯坂常世

主文

一  被告は原告に対し、金七二〇〇万円及びこれに対する平成三年五月二〇日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二  訴訟費用は被告の負担とする。

三  この判決は仮に執行することができる。

事実及び理由

第一  請求

主文一項同旨

第二  事案の概要

一  争いのない事実

1  原告及び被告はC(以下「C」という)の相続人である(被告は長女、原告は二女であり、他に相続人はいない)。

2  原告と被告は、平成元年八月二日、次の内容の契約(以下「本件契約」という)を締結した。

(一) Cが死亡した場合には、その遺産のうちから原告は七二〇〇万円を、被告はその残余をそれぞれ分割相続する。

(二) 被告は原告に対し、Cの相続開始の時より六か月以内に右金員を交付する。

(三) 被告は、右(二)記載の債務を担保するために、被告所有の別紙物件目録一、二記載の不動産(以下「碑文谷の土地建物」という)について、原告を権利者とする第一順位の抵当権を設定する。

3  Cは平成二年一一月一九日死亡した。

二  原告の主張

1  遺産分割は遺産をめぐる相続人間の私的な取り決めであり、特に時期的な制限はないから、遺産に関する相続人間の取り決めがたまたま相続開始前にされたとしても、遺産分割の有効要件を備えていれば、被相続人の死後これを無効とする理由はない。

2  停止条件付遺産分割契約

本件契約の意図するところは、相続開始前に最終的な遺産分割協議を行ったものではなく、特段の事情の変化のない限り、相続開始後において、被告が相続財産のすべてを承継するが、その代償として被告は原告に対し七二〇〇万円を支払うという内容の遺産分割を行う旨事前に約するものである。

本件契約は、特段の事情の変化がなく、かつ、両当事者が異議を唱えない限り、相続開始後、両当事者が当然に右内容の遺産分割の協議を行ったものとみなす趣旨であり、その意味で一種の停止条件付遺産分割契約である。

3  被告の追認による遺産分割の合意の成立

仮に本件契約により相続開始後当然には遺産分割協議がされたものとみなされないとしても、相続開始後、原告は書面及び口頭で本件契約にある七二〇〇万円の支払を求め、これに対して被告は、何度も口頭または書面で本件契約どおりの債務の覆行を約束しており、これにより被告は本件契約を追認したものである。この追認により、相続開始後新たに原告と被告間で本件契約の内容による遺産分割協議が成立した。

4  和解契約

本件契約は、以下に述べるとおりC及びC家の財産をめぐる紛争を解決する和解契約であり、Cの生前に締結されたか否かに関わりなく、本件契約により被告は七二〇〇万円の金銭支払債務を負うに至った。

(一) 被告は、昭和六三年七月、Cを準禁治産者とし、被告が保佐人となるとともに、平成元年一月三一日、株式会社尚栄ホームに対し、C名義の別紙物件目録三記載の土地及びその上に存する被告名義の同目録四、五記載の各建物を実勢価額をはるかに下回る代金五億五九六〇万円で売却し、右売却代金をもって、同年七月六日、碑文谷の土地建物を購入した。

これは、保佐人である被告がCの財産管理を行う者として必要な注意義務を著しく欠いた違法行為であり、それによってCは実勢価額と実際の代金との差額相当の損害を被った。

(二) 原告は、Cの死亡とともに、Cの被告に対する損害賠償請求権の半分を相続したが、このことは本件契約締結当時既に確定していた。

また、被告の右財産処分行為は、原告の相続に対する期待権を侵害するものであり、Cの生前の原告に対する不法行為でもあった。

原告は、平成元年春、以上の不法行為に気づき、被告に対して事情の説明を求めたが、被告は容易にこれに応じなかったため、紛争となった。

(三) 本件契約は、将来確実に発生するこれらの原告の被告に対する損害賠償請求権を原告が主張しないこと、被告の数々の背信行為について原告が不問に付すことと引換えに、被告が原告に七二〇〇万円を支払うことを定めたものである。

また、本件契約は、被告がC家のすべての財産を承継することを原告が承認し、原告は相続人としての権利を主張したり、遺産分割請求その他の請求を一切行わないこととする代わりに、被告が原告に対して無条件に七二〇〇万円という一定額の金銭を支払うという内容を包含する。

(四) このように、本件契約の目的は、Cの相続財産に関する紛争を解決し、かつ、将来の紛争を防止することにあったが、その一方で、その実質的内容としては、被告の原告に対する七二〇〇万円の債務の確定のみであって、その支払の期限に関し、たまたまCの死亡を起算点としているにすぎないものである。

本件契約は、かかる和解契約として債務発生の根拠となるものであって、Cの死亡前にされたか後にされたかということは、その効力と関係のないことである。

5  仮に被告の主張に理由があるとしても、被告が本件契約の効力を争うことは、禁反言の原則に反し、著しく信義にもとるものであって権利の濫用である。

本件契約を締結するに至った原因は、被告が、原告及び被告の共同相続人の所有物を独断で売却し、その代金を自己の利益のために費消するという公序良俗に反する行為を行ったからに他ならず、その被告が本件契約の公序良俗違反を主張することはできない。

6  よって、原告は被告に対し、本件契約に基づき、七二〇〇万円及びこれに対するC死亡の六か月後である平成三年五月二〇日から支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

三  被告の主張

1  被相続人C存命中になされた原、被告間の遺産分割協議は効力がない。

2  原、被告の被相続人Cの死亡を条件として、原、被告間において遺産分割の協議をすることは、それ自体公序良俗に反し無効である。

3  無効な法律関係を追認しても効力は生ぜず、追認の主張はそれ自体理由がない。

4  本件契約は遺産分割の協議にほかならず、和解契約ではない。

第三  判断

一 遺産分割は、共同相続した遺産を各相続人に分割するものであり、相続人及び遺産の範囲は、相続の開始によって初めて確定するのであるから、その協議についても、相続開始後における各相続人の合意によって成立したものでなければ効力を生じないというべきである。相続放棄は、相続開始後一定期間内に家庭裁判所に対する申述によってされなければならず(民法九一五条一項)、また、相続開始前における遺留分の放棄は、家庭裁判所の許可を受けたときに限りその効力を生ずるものであって(同法一〇四三条一項)、これら相続に関する権利の相続開始前の処分が認められないのと同様、遺産分割についても、事前に協議が成立したからといって、直ちに何ら効力を生じるものと解することはできない。民法九〇七条一項は、いつでも共同相続人の協議で遺産の分割をすることができる旨定めているが、相続開始前の分割協議の効力を認めたものとは解されない。民法九〇九条は、遺産の分割は相続開始の時に遡って効力を生ずる旨定めており、これは、相続開始後に遺産分割協議がされるべきことを当然のこととした規定というべきである。

本件契約は、Cの推定相続人である原告と被告が「Cが死亡した場合には、その遺産のうちから原告は七二〇〇万円を、被告はその残余をそれぞれ分割相続する」旨合意したもので、右にいう事前の遺産分割協議をしたものというべきであり、右合意によって何らの効力を生じるものではない。

このことは、相続開始を停止条件とした場合も変わるところはなく、相続開始後、特段の事情の変化がないからといって、相続開始によって当然に効力を生じることにはならない。

なお、甲第二号証の一、二、第八号証の一、二によれば、本件契約に基づき、平成元年一〇月一一日、碑文谷の土地建物について、登記原因を同年八月二日損害賠償額の予定契約同日設定として、債権額七二〇〇万円、債務者被告、権利者原告とする抵当権設定仮登記が経由されていることが認められるが、本件契約の前記文言からいって、本件契約を損害賠償額の予定契約とみることはできない。

二 相続開始前の遺産分割協議が効力を生じないからといって、相続開始後、新たに同一内容の遺産分割協議をすることが許されないものでないことは明らかである。そして、相続開始後、各相続人がこれを追認したときは、新たな分割協議と何ら変わるところはないから、これによって効力を生じることになるというべきである。

甲第四、第五号証によると、原告の代理人である中元紘一郎弁護士は、C死亡後の平成三年六月一一日付で、被告に対し、本件契約で合意した七二〇〇万円の支払を催告し、被告は、同年九月、被告の代理人である森田武男弁護士と連名で、原告に対し、右七二〇〇万円を最優先して支払う旨の念書を差し入れていることが認められ、これによれば、原告と被告は、相続開始後、本件契約を追認したものというべきである。

三  よって、その余の点について判断するまでもなく、原告の請求は理由がある。

(裁判官森髙重久)

別紙物件目録 〈省略〉

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